長襦袢と長着の間に着る胴着って言うのをはじめて知ったんですけど…【男の着物】

2017年01月21日

コメント ( 6 )


193: 2017年01月16日 15:37

男だけど、書き込んでもいいですか?ダメなら無視してください。
長襦袢と長着の間に着る胴着って言うのをはじめて知ったんですけど、
調べると袖なしの場合と、長袖があって長袖には筒袖があるらしいんだけど、長襦袢の上に筒袖を着るって、長襦袢の袖は腕に巻き付けて着てたんでしょうか?襦袢の下に筒袖の胴着を着てたのかな?知ってる方が居たら教えてください。将軍様が馬に乗ってるときに、袖出口から見えるワイシャツみたいな筒袖のものを着てるようだけど、これが胴着の筒袖なのかな?吉宗公の城中普段着は襲を含め襟が四枚着てるようですが、城中普段着の場合は袖から筒袖は出ていませんよね?乗馬の時と普段で着方が違うのかな?

195: 2017年01月16日 20:02

>>193
胴着についいては詳しくないのですが長襦袢について

・長襦袢の歴史は意外に浅く小袖→袖無→半襦袢→長襦袢(江戸時代中期頃)
襦袢の本となったと言われるポルトガルのジバオはむしろ袖の細い普通のシャツであること。
・古い時代の武士の装束なら下着は長襦袢ではなく肌小袖とか半小袖と呼ばれるもので結構今とはデザインが違うこと、
・近代の着物も動きやすさが重要な場面では筒袖や船底袖が一般的なこと
・襦袢の下に筒袖の胴着では下着として意味を成さないこと

以上から憶測ですが、単純に袖を巻きつける必要のないように長襦袢も筒袖のものを使うのではないでしょうか?

196: 2017年01月16日 20:24

>>193
服飾史についての質問かな?
ここは和の習い事の関係で伝統芸能とかには詳しい人は多いけども
正確な時代考証については答えられる人がいるかどうか不明

時代劇は結構アレンジされてること多いよね
高校の時、古文の先生が大河ドラマの時代考証の甘さにマジギレしてたなー
この時代にこの花は咲いてない!
あの野菜は栽培されてない!!とか
色々気になってイライラしちゃうらしい

197: 2017年01月16日 20:26

おおお 博識な人来た

198: 2017年01月16日 21:57

>>195さん
ありがとうございます。長襦袢の時代変化を知ることができて助かります。
丁稚さんなんかは、働きやすいように長着も袂が短い丁稚袖など動きやすい恰好だったのは知ってるのですが、将軍様がお馬に乗る時、袖口から筒袖のシャツのようなものが見えるんです。
そして、着物の襟もとを見ると長襦袢の白襟とその上に白襟がそれぞれ、てんでん前に着つけられていて、その上に長着と白下着を襲ねて一つ合わせに着てる見たいで、
襲ねの白下着と襦袢の間に着てる白襟の正体がわかりませんでした。
昨日、神社の骨董市で昭和8年の着物雑誌の付録(和服裁縫独習書)を見つけて、
「男物襲衣と羽織、襦袢寸法の差」という項目を見ると、長着・下着・胴着・襦袢と4枚の仕立て寸法が載ってたので、謎の白襟が胴着なんじゃないかと思った次第ですが、胴着をネットで調べたら袖なしか長袖で筒袖と出ていたので、普通の襦袢だと袖の袂が邪魔になると思い、質問させていただきました。襦袢も筒袖か袖なしならつじつまが合います。ありがとうございました。

>>196 
時代劇が完全に再現されていないのはわかるんですが、
家の高祖父(江戸末期生まれ)の肖像画の紋付の姿を見ると、長襦袢の上に白襟がてんでん前で着つけられ、白下着と黒長着を一つ合わせに襲て来ているので、襟が4枚見えるんです。
昔は紋付の時に襲ノ白下着を着ていたのは知っていたんですけど、白襲と襦袢の間の着物が不明でした。ず~っと白下着を二枚着ていたんだろうと思っていたんですが、どうやら胴着じゃないかと思って質問しました。将軍様は再現ドラマだけど、肖像画はおそらく本人の姿を描いたものなので、やっぱり、昔は胴着を重ねて着てたんだろうと思った次第です。

元スレ: http://www.kimonolog.com/archives/post-35909.html


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コメント一覧

  1. 着物の名無しさん   2017年01月24日 04:01

    胴着ねー
    第一次世界大戦前の和裁専門書に載ってるけど、男物は人形付きの普通の袖だな
    女物が袖無し
    両方綿入れになってる

    寒い所でも老人着だったようだよ?

  2. 着物の名無しさん   2017年01月24日 11:20

    幕末頃に書かれた『守貞謾稿』の岩波文庫版を持っているので、ご参考までに紹介してみたいと思います。

    ・胴着とは、冬・春の間、襦袢の上、長着の下に着る、綿入れの服である。(丈は半襦袢と同じ。)
    これを着ると上半身が暖かく、下半身が軽快で、費用も安いので、武士も庶民もみな着用している。
    ・粗末なものは木綿、美品は縮緬で作る。男も女も着る。
    ・胴着は半纏とよく似ているが、胴着は左右の袖下の両脇を三寸ほど縫わずに開けてある。
    半纏は両脇を完全に縫うので、区別できる。
    また、胴着は襦袢の上に着るが、半纏は長着の上に着るものである。
    ・筒袖の胴着もあるが、これは襦袢の下に着て、肌着として用いる。
    ・また、袖なしの胴着もあって、貧民が多く着る。江戸では「さるっこ」とも呼ぶ。

  3. ※2   2017年01月24日 11:28

    というわけで、筒袖の胴着は襦袢の下に着たもののようです。
    同書に筒袖襦袢も載っていますが、「下男下婦の略物。小民の専用なれども、今は中民もこれを用ふ」とあって、吉宗が着ていたとは思えません。

    「襦袢の上、長着の下」と書いてしまいましたが、「襦袢の上、下着の下」の誤りです。すみません。

    ちなみに『守貞謾稿』は、岩波文庫では『近世ふうぞく志』(漢字表記)という題名なのですが……
    「ふうぞく」がNGワードで引っかかったので焦りました……

  4. 着物の名無しさん   2017年01月24日 12:47

    素晴らしい、勉強になったありがとう。

  5. 着物の名無しさん   2017年01月24日 17:57

    考えてみたらあたりまえだけど、昔の人もいろいろ工夫してたんですねぇ。
    ググってみたら守貞謾稿は国立国会図書館デジタルコレクションにありますね。
    ちょっと読めないけど…頑張って読んでみようかな?

  6. 着物の名無しさん   2017年01月24日 23:21

    >1>2>3さん
    本スレの193です。
    大変参考になりました。ありがとうございます。
    寒さをしのぐために襦袢と下着の間に着るものだったんですね。
    僕の手に入れた昭和8年の和裁の古本(三越和裁裁縫部長述)には、
    長着丈が3尺6寸5分の時、半着の胴着が2尺3寸。長い胴着が3尺5寸と載ってます。
    将軍様が馬に乗るシーンや狩りの時の袖口から見えるものも胴着みたいなもんなんでしょうけど、
    別の呼び方があったのかもしれませんね。また、仕立てもまったく違ってるのかもです。
    今は寒い時期でも、襦袢に袷の長着だけど昔は綿入れを着て、下にも着こんでいたんでしょうね。
    ネットで【守貞謾稿】の画像みまいたけど、くずし字で読むのに苦労しそう。

    今、北大路欣也さんが【くら寿司】の担々麺のCMできている着物が、襟が四枚見えます。
    色襟だけど、胴着を着ている所かな。

    教えていただき、ありがとうございました。

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